地球の反対側で考える(パラグアイから発信)

「パラグアイに行こう」の作者が地球の反対側で考えた事を綴ります。また訪日した感想も綴ります。

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明治維新の後、日本は非常に短期間で欧米列強と肩を並べる強国になりますが、その当時国家を支えていたのは江戸時代に教育を受けていたごく普通の人達です。明治維新の時点では既に大人になっていた彼らが日本を押し上げた事になります。欧米で教育を受けていない日本、それも田舎の山口県、佐賀県、鹿児島県などで育った人達が中心です。一般的に考えて、近代国家とそれ以前の封建的な国家との違いは何かと言いますと国民の為に政府が働く、自由に意見が言えて優秀な人物が登用される事にあるように思います。戦国時代は多分君主が領民を守りはしたでしょうが、それは自身の利益の為で民百姓の為に命を掛けた訳ではないと思います。

戦国大名としては人気が高い真田でも徳川が攻めて来た時には上田の城下町に火を放つという策を用いています。当時、権力の前には人は無力に近い存在であったと想像します。明治維新の戊辰戦争で不思議なのは関ヶ原と登場するメンバーが似ていて、東軍が徳川、西軍が毛利、島津なのですが、主人公は殿様ではなく下級武士達で例えば江戸開城は幕臣の勝海舟と島津の下級武士である西郷隆盛の間で取り決められていて、決定権がそれ程高い身分では無い人が握っている事には驚きます。少し遡り江戸後期、時代劇で取り上げられる文化文政時代、江戸で町人が殺されるような事件があると町奉行所、要するに役人となっている武士が必死に事件を解決します。強盗が商人を襲う場合も同様です。既に支配者層である武士達は国民を守るという文明国家、国民国家を実現したという訳です。江戸時代の初期にはまだ戦国同様の殺伐とした前近代的な社会であったでしょうが、明治維新の時には高いレベルの文明国家になっている、江戸時代の間に少しづつ変化したのかそれとも意図的に変革が行われたのか疑問に思っていました。

ある番組で江戸初期に起きた島原の乱を取り上げていました、これが契機で日本は文明国家になっていったと言うのです。日本人の気質の大転換を行ったのが綱吉だというのです。綱吉は武士に対しては武家諸法度を改定して武士は武では無く文を尊ぶように変更し、教養と管理能力を身に着けるよう変革、庶民には生類憐みの令を発布して人を殺すな、傷付けるな、刃傷沙汰はご法度、弱者は救済し果ては犬猫のような動物まで尊重するよう求めました。日本人の気質の大改革を実行したという訳です。これにより穏やかな太平の世となり、教育が庶民レベルまで普及し高度な文明国家を成し遂げ、豊かな元禄時代を実現したという訳です。当時起きた大事件である「松の廊下刃傷事件」においても仇討を実行した赤穂浪士を全員切腹させましたが、綱吉から見ますと「馬鹿どもめ、まだ分からないのか」と相当お怒りの事であったと想像します。事件を起こした浪士そしての事件を英雄視する庶民には失望したと想像します。遺言で生類憐れみの令を継続するよう求めていましたが、まだ日本人の気質変更がまだまだ不十分と考えていたのでしょう。綱吉が日本人を変え日本の近代化への素地を作ったのは確かであると思います、日本の歴史上の人物で一番尊敬する人、好きな人はというような質問には「徳川綱吉と答えるようになりました。


地球の反対側で考える(2011)




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