地球の反対側で考える(パラグアイから発信)

「パラグアイに行こう」の作者が地球の反対側で考えた事を綴ります。また訪日した感想も綴ります。

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- --:-- | スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-) |
中学三年生の時には東京に住んでおり都立高校へ進学する事を希望していました。現在と異なりまだ都立高校の人気が非常に高い時代であったのですが、既に凋落の兆しはありました。何でも以前は高校毎に受験するシステムであったのですが、余りに受験戦争が過熱し都立高校間での格差が広がっているのでこれを是正しなければならないという事で「群制度」が導入されていました。高校を学区内で幾つかのグループに分けてその群を受験するという方式でした。当時は杉並区に住んでおり、中野、練馬と共に第三学区とされこの中に4つの群がありました。大体この学区というのが非常にお役所的で、杉並と中野、練馬は確かに隣の区ですが、東京は都心に向かう電車は整備されていますが、環状に行くのは特に郊外では難しく練馬に行くのはバスを乗り継いで行くしか無く銀座に行くよりも大変でした。進学した高校は杉並の外れにあり、武蔵野市や三鷹市に近いのですがここは学区外で直ぐ近くの吉祥寺に住んでいる人は受験出来ない仕組みとなっていました。都県境があるならばまだ納得出来ますが同じ都内で無理に線を引いていたのもおかしな話です。

住んでいた家から一番近い高校は元々男子高で都内でも人気の高校で、ここに行きたいと希望していましたが、群制度で遠く中野区の南部にある元女子高と一緒のグループになっており、この群を受験する事になりました。希望する近くの高校か、希望しない遠くの元女子高かは合格者を上位から男子に関しては5人づつを3人が元男子高、2人は元女子高に機械的に振り分ける方式で決めていました、要するに希望どころか成績は全く関係無く運に拠るという事です。この時は運に恵まれて晴れて希望する方の高校に入学が叶いましたが、同じ中学から外れの元女子高に進学した生徒も勿論居ました。高校生になった後にこの学校に進学した友人に「女子が多くて幸せかい」と少々茶化して尋ねますと、不満そうな表情で「まず遠い、一度新宿まで出て地下鉄で通うしか無い、男子トイレは急造、制服は靴下の色までチェックする、おばさんの教師がヒステリーを起こす・・・」と不愉快そうに答えていました。自転車で10分、自由な校風で制服も無い当方の学校とは大違い、自分の運の良さに安堵しましたが何となく納得出来ない気持ちも残りました。

本来は同じ試験に合格したのですから両校は同レベルのはずですが、実際の大学進学先では大きな差が出ていました、校風が異なり、進学指導の方針が全く異なり、勉強の仕方も違っていたのでしょう、元女子高に進学した仲間は最後まで納得出来ない様子でした。勿論中野区の人や女子生徒の中には反対に中野区の元女子高を志望していたが、杉並の一番外れにある当方の高校に振り分けられてしまったという人も多かった事でしょう。このような事を続けている内に都立高校は急速に人気を失い、慌てて元のシステムに近い方式に変更しましたが、昔日の人気を取り戻す事は無いでしょう。何が問題であったかと言いますと「公平」では無かったからだと思っています、都内の中学生を公平に扱い、成績の良い者から希望が叶うのが当然であり、これを捻じ曲げた事が最大の問題であったと思います。都立高校の低落後、全国的に公立高校の沈下が目立つようになりましたが、私立高校側の強い後押しがあったのかも知れませんね。
スポンサーサイト












管理者にだけ表示

トラックバックURL↓
http://tanakapy.blog32.fc2.com/tb.php/72-be31a2dc

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。