地球の反対側で考える(パラグアイから発信)

「パラグアイに行こう」の作者が地球の反対側で考えた事を綴ります。また訪日した感想も綴ります。

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- --:-- | スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-) |


欧州と言いますとドイツ、フランスが中心にあり、その直ぐ横には大英帝国があり、この辺りが中心という印象があります。その中でイタリアは勿論主要国の一つですが、少し中央からは外れているというイメージがあるように思います。人口もドイツよりは少ないですが、フランス、英国とは同程度、欧州共同体には最初の6ヶ国時代からのメンバーです。ラテン的で仕事をしないで、浮気ばかりしているノー天気な男性というのが一般的に考えられる男性像です。ミラノのファッション、フィアットなどの自動車産業は世界的ですが、過去の遺跡が多い観光立国という印象が強いのが正直なところです。一番行きたい国と問われる時に多くの人は「イタリア」と答えるでしょうが、それはローマ時代そしてルネッサンス時代の遺跡や美術品が目当てであると思います。

よく歴史を見ますとイタリアは常に欧州史の中心にあり、多数の有名人を輩出しています。シーザー等のローマ帝国の英雄達は勿論、アルキメデス、マルコポーロ、コロンブスも現在のイタリア出身となります。アルキメデスはギリシア時代の偉大な数学者ですが、シチリア島の人です。ギリシア時代にシチリア島はギリシアの中で大きな地位を占めていて、当時勃興していたカルタゴにも近く重要な地位を占めていました。現在とは異なりシチリア島はギリシア、ローマ時代に地中海が大きなウェートを占めていて、欧州世界の中央に在ったのでしょう。ローマ帝国が分裂し、西ローマ帝国が滅びた後は欧州史の舞台の中心は地中海世界から欧州内陸部、現在のドイツ、フランスとなる神聖ローマやフランク王国に移ってしまうように見えますが、実際には長い期間イタリア南部を中心とする地中海世界は繁栄しており、日本では鎌倉時代の始まる頃にはシチリア島にはノルマンディー人の王国がありました。現在のフランス・ブルターニュ地方は土地が狭く多くの人が傭兵として南イタリアを目指し、その仲で頭角を現した人がシチリア王国を立てたというのです。首都は栄華を極めていたそうです。中世から近代にかけてはフィレンツェ、ウェネチア、ジェノバ等の都市国家がが繁栄を極め、文字通り世界の中心にありました。

では何故現在は後塵を拝しているのでしょう、これは国家統一が遅れ、ようやく19世紀も後半、日本が幕末の騒乱の時代になり、それも離島のサルジニアによる統一という形で実現しました。既に世界帝国となっていた英仏等と対抗する為、バラバラな国家を一気に統一国家へと進める為にファシスト党の独裁となり、先行して利権を確保した国々と遅れて利権を持てなかった国との間で起きた第二次世界大戦に負けた為でしょう。現在も「イタリア人」というよりは「ミラノ人」「ローマ人」「ナポリ人」であり、北部は南部と同じ国であるという意識は余り無い、国家としてなおも精神的には統一していない事に原因があるのでしょう。戦後も常に政治は不安定であり、何となくまとまりを欠いています。

実際に訪問しますと確かにラテンの国で南米からですと風景、雰囲気には全く違和感がありません。ローマを歩いているとまるでブエノスアイレスを歩いている感じです。ただ似ている中にも南米との違いを二つほど感じました。一つは南米のラテン文化は外から来たものであり、固有のものでは無く、現在見えるもの以前にはその前の文化というものは無いのに対して現在のイタリアにある文化は全てゼロからこの地で築き上げたものであるという点です。同じものでも外来と固有では相当の違いがあると思います。南米では北米式、アジア式など様々な文化が流入していますが、ラテン文化も外来ですので受け入れに抵抗がありません。これに対してイタリアは自国の文化ですので外来文化に対してはかなり抵抗感があるように見えます。ただ反面、古い文化に埋もれて生きているのでこれが足手まといになっているようにも見えます。若い世代には息苦しいのではないかと推測します。イタリアから新世界に多くの移民が旅立ちましたが、この社会の硬直性を嫌ったのが大きな要因ではないかと思います。そしてもう一つは現在イタリアは先進国の中にあり、欧州連合の一員であるという事です。何事のんびりと構える南米人とは異なり、イタリア人は先進国の人です。アルゼンチンやパラグアイでは太っている人が多いのですが、イタリアは皆さんスリムです。普段食べるものの質素で働き者という印象を持ちました。ドイツ、スイス、フランス等と国境を接し、常に競争を強いられているのでしょう。何となく余裕が無く、南米で抱いているラテン世界とはかなり異なっていました。

さて、今後はどのようにイタリアは進んで行くのでしょうか?統一から150年が経過し、ようやく統一国家としての意識が出来た時期なのかも知れません。欧州連合の中でバラバラとなり埋没する可能性もあるかも知れません、ミラノ、ジェノバ、トリノ等の北部主要都市の人は目は北に向き、商売の相手は自国の南部よりは独仏が相手でしょう。南部イタリアは紀元前から10世紀頃までは常に歴史の表舞台にあった地域です。その栄光は陰を潜め、現在では西ヨーロッパの中では最も遅れた地域となっています。ここをどのように活性化するのか、特にナポリ以南、シチリア、サルジニア地方の活性化がイタリア底上げの鍵となるでしょう。北アフリカがアラブの地となり、欧州の人にとり異教徒の土地となって以来、この地域が辺境の地となっていますが、欧州が歴史的には近い関係の北アフリカを取り込んで活性化出来るか注目しています。



スポンサーサイト












管理者にだけ表示

トラックバックURL↓
http://tanakapy.blog32.fc2.com/tb.php/65-0dc5825b

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。