地球の反対側で考える(パラグアイから発信)

「パラグアイに行こう」の作者が地球の反対側で考えた事を綴ります。また訪日した感想も綴ります。

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日本から離れて暮らしていますと日本文化とは何か、日本らしさとは何かを考える事がよくあります。生花、茶道、武道そして食に関しても日本らしい物が多くあります。考え方としては新渡戸稲造の「武士道」などが有名ですが最近は日本人の中に「引き分け」を好む考え方が在る、これが色々な面に大きく影響していると見ています。日本人は何事でも引き分けにし、曖昧にして両者を混ぜて中間色にしてしまうのが特色という訳です。一番端的な例はプロ野球です。米大リーグでは引き分け等ありません。とにかく決着が着くまで戦います。何かの事情があると「何回・何アウトから」という形で別の日に試合を行ないます。試合は勝敗を付けるものであるという思想が根底にあるのだと思います。これに対して日本では引き分けがあります。各チーム年間数試合はあり、これが微妙に優勝に影響する事もあります。時間切れで引き分けになるのは当然と考えています。

国内の戦争で有名で人気があるのが「川中島の合戦」です。武田信玄と上杉謙信が何回も同じ場所で戦い最後まで決着が付かなかったのですが、この戦いに関しては今でも根強いファンが居ます。しかしながら双方とも中央から離れた場所で死闘を繰り広げるという愚を犯したのでこの戦いに固執して年齢が高くなり最後には天下を取る事が出来なくなってしまう。このような田舎で戦争をしていた事は結果的には余り賢いとは言えないと思います。確かにそれなりの事情があるのでしょうが、武田も早目に西を目指して行くべきであったのでしょう。外国に人にとってはこのような戦争を評価する考え方は理解出来ないと思います。戦争を模して作られている「将棋」にもこの思想が入り込んで世界各地に在る将棋の中で唯一相手の駒を自軍の勢力として利用出来るルールになっています。決着を付けない、要するに敵は殺して廃するのでは無く再利用するというのがいかにも日本的であると思います。

思想の面でも神仏合体というものがあります。外来の仏教が入って来て一般の人に理解出来ないとなるとそれまで一般に最も信仰されたいた神様と仏教の神を一緒にしてしまう、というのがありますが、本地垂迹要するに八百万の神々は、実は様々な仏が化身として日本の地に現れた権現であるとする考えで、伝統の神道かそれとも外国から入った仏教かの選択を迫られた当時の日本人の出した答えであった訳です。「南無八幡大菩薩」とはそれまであった八幡神は菩薩であるというものです。仏教はその後も日本では変化を遂げて本来は修行を通じて煩悩を取り除き悟りを得るというものであったのが、天台の思想では信じれば救われるという事になり、非常に日本的なものになって行きます。他の国と比較してキリスト教が余り信者を増やす事が出来なかったのは仏教と比較して聖典宗教の為に曖昧さが少なかったからだと思いますし、イスラム教はもっと日本に入り込むのは難しいと思います。

日本は外交が余り上手では無いとよく言われますがこの引き分け思想が大きく影響しているのでは無いかと思っています。「全方位外交」などという世界の誰とも仲良くしましょうというのが日本の基本姿勢のようですが、これは正直無理であると思います。例えばパレスチナの地を巡って二千年間の争いをしているアラブとユダヤですが、敵の味方は敵であると思うことでしょう。白黒をはっきりされるのを避ける為の方便として出ているのがこの「全方位外交」と思います。日本人は外国音痴で日本的な発想で国際問題を判断し、誤った結論を出す事がよくありますが、自分のこの特徴をよく理解して臨めばもっと適切に対処出来るものと思います。





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