地球の反対側で考える(パラグアイから発信)

「パラグアイに行こう」の作者が地球の反対側で考えた事を綴ります。また訪日した感想も綴ります。

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学生時代、日本の歴史を勉強している際に江戸時代までは「鎌倉時代」「室町時代」のように政権の交代を区切りとして時代区分をしているのに対して明治以降は天皇陛下の在位を基準にた元号、明治時代、大正時代、というように教わって来ている、これがどうもピンと来ない、と言って西暦でもしっくり来ない。そこで近代日本の歴史を「維新~年」「戦後~年」で眺めて見るとより理解が出来る様に考えますがいかがでしょうか?明治は維新とほぼ同じなのでこれを基準にし、終戦の昭和20年を戦後元年として見て行くという訳です、日本人は戦後50年くらいまでは西暦よりも元号よりも実際の基準としては、この「戦後~年」を使っていたように思います。

もう一度明治維新を振り返りますと、1000年近く続いた武士の時代が終焉し、江戸幕府という地方の武士豪族政権を取り纏める組織が頂点にある連合体のような政権が一気に崩壊し、武士というそれまで頂点に君臨していた階級が消え、両という通貨も消え江戸幕府という国家が消えて新生・大日本帝国が誕生した。第二次世界大戦の敗戦、いわゆる「終戦」という変革もそれ以上の政変で、それまで君臨していた軍人が消えて大日本帝国も消滅、円も新円切り替えで実質的に消え失せた。近代史はまさに激動、それぞれこの二つの変動の際に生きていた人達はそれまで生きて来た社会での価値観を全面的に変更する必要があった訳で非常に大変であったと想像します。

大日本帝国というのは国名からも明らなように帝国であり、具体的には軍事国家であったと思います。国力、国民の関心は専ら軍事であり、戦艦の大きさとか軍人の数が国力を測る基準と考えられていたと思います。経済的には例え蚕という蛾の幼虫が吐き出す排出物に依存しているという心もとない状況であっても軍艦の数が多く軍事が整い、当時の国際法上の「一等国」と名実とも認められれば国民は納得していたのだと思います。一方、戦後の日本国の国力の基準はGDPであったと思います。経済力が全てという宣伝が為されて、世界~位のGDPとマスコミで告げられ、それを一つでも上げるよう努力して来たのが戦後の歴史であると思います。

要するに大日本帝国と日本国を比較する場合には「維新」年号で軍事的に何があったのか、「戦後」年号で経済的に何があったのか比較すると日本の近代史が見えて来るように思うのです。

大政奉還が行われ、年号が明治になり、新政府が誕生し、一気に国際社会復帰を目指しました。維新10年でそれまでの支配勢力である武士の最後の抵抗が西南戦争という形で起きました。維新27年には日清戦争、維新37年には日露戦争に勝利して日本は名実ともに世界の強国にのし上がっています。この頃の日本は実に謙虚で対露戦争でも軍規はしっかりしており、統率も見事であったと思います。軍隊は弱小ながらも立派に機能し、それが勝利に結びついたものと思います。維新47~50年には第一次世界大戦が起き、欧州での戦いを高見の見物しながらドイツが持っていた山東の利権を獲得し、中国大陸にも足場を築きました。この頃までは軍はそれなりに機能していたと考えてられます。

これ以降次第に変質して行き、維新61年には満州事変を起こし、軍の暴走が始まり、以降は軍に政治が引っ張られるという状況に陥り、維新70年には櫨溝橋事件を起こし、中国への全面的な介入を始め、維新74年には勝算の無い対米戦争を始め国家は破滅への道を突き進みます。この戦争でよく理解出来ないのは精神的な面ばかりが前面に出て、国民全体、合理的な思考が停止状態となり、戦争を始めた以上、全体のマスタープラン、要するにどのようにして終戦に持ち込むのかという全体作戦も無いまま南方を占領するという曖昧な戦略だけで戦争をしている。絶頂期以降、過度の精神主義が謳われ、世界が軍艦主体から空母などより起動性が高い装備に変化していく中、日本は大型軍艦主義に固執した。どうも成功体験で思考が停止してしまったように思います。軍がまともに機能していなかったと思います。そして維新77年、敗戦を以って大日本帝国は終焉を迎え、日本軍は消滅しました。

このように振り返りますと、維新15年くらいまでは混沌とした状況が続き、それから30年間くらい高度成長の時代があり、維新45年~55年くらいの時に絶頂を迎え、そしてその後20年くらいで崩壊している。

戦後は戦後6年に朝鮮戦争が勃発し、戦後20年にオリンピックがあり、復興著しい日本を世界にアピールした。戦後26年に済大国日本の展示会である大阪万博を開催し、戦後29年にオイルショックを迎える。そして戦後42年~47年がバブル景気、バブルが崩壊し、戦後53年に山一証券・拓銀が破綻、その後均衡縮小の為のリストラ、合併、破綻が相次ぎ、経済が縮小均衡に向かっている。そして現在戦後58年を迎えている。維新の時と同じように15年くらいの混沌とした時期があり、30年くらいの高度成長期、そして5年間の絶頂期があり・・・

戦後・経済が維新・軍事のように進みますと破綻の方向に進む事になります。両者を比較すると5年くらい戦後・経済の方が進展が早いように思われます。そうしますと戦後70年くらい、後10年ちょい位でまた大変革があるという推論が出て来ます。大変革の後は15年混沌の時代があり、高度成長を迎えるという同じパターンを繰り返す事が出来るかも知れません。その時の価値、「軍事」「経済」に続く国力の基準、国民の関心の中心が何になるのか想像する毎日です。


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