地球の反対側で考える(パラグアイから発信)

「パラグアイに行こう」の作者が地球の反対側で考えた事を綴ります。また訪日した感想も綴ります。

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今日で私の仕事も正常に戻りました。引退まじかで、だいぶ仕事を減らしていますので、かなり仕事の時間的余裕がありますので楽です。日本滞在中に一番関心して見たのは、田町駅近くのホテルの9階の窓から朝6時過ぎに目が覚めて、下の歩道を見ていたら、永い行列が歩いていました。デモ行進と勘ぐりましたが、いちおう全員がバックサックか、肩から作業カバンを斜めにかっいで持っています。格好は皆さん作業着で、運動靴が多かった様でした。私は朝のシャワーを急いで浴びると、ロビーにある、朝食のバフェーを食べる為に降りていきました。しかし少し時間的に余裕が有りましたので、外に出て歩道を見ていました。外を掃除していたホテルの係員が教えてくれたのですが、近所のマンション工事現場に行く作業員の行列と教えてくれました。42階とか、もっと他に建設現場が有ると言っていましたが、巨大な高層建築の建設現場に働く労働者がこれだけ居るとは信じられませんでした。パーキングが少ないので皆さんが電車で通勤してくる様でした。電車が吐き出す作業員全員が並んで、ゾロゾロと歩くのですから、それは壮観です。ホテルの係員が教えてくれたのですが、沢山の南米からの出稼ぎ労働者が働いて居ると言っていました。確かに私の見ている前でスペイン語で会話しながら歩いている若い日系人のグループも見ました。底辺の労働者として、日本の建築産業の土台を支えていると感じました。羽田から飛んで、北九州市の6月に開港した飛行場から急行バスで小倉市内のモノレール乗り場近くで下車して、駅まで歩いていたら、道を尋ねた警備員が若い女性で、カタコトの日本語でダンプトラックの誘導をしていました。カタコトの日本語でモノレールの乗り場を教えてくれたので、ポルトガル語と感じましたので、『ムイト・オブリガード!』と言うと、満面の笑顔で答えてくれました。目が澄んだ青色でしたから日系の混血と感じましたが、こんな田舎の現場で仕事をしている出稼ぎ労働者が居ると思うと、日本の社会が変化と改革の中に居ると肌で感じました。

訪日をした時に、熊本を訪ねました。 曇って、蒸し暑い日でしたので、久しぶりの 日本の夏を堪えていました。 父の妹が90歳で、あとわずかな命となり、 お別れをしてきました。 病室を訪ねると、目をつぶり静かに寝ていたが 耳元で私が訪ねてきた事を告げると、かすかに目を開いてくれ、手を握りしめると強く 握り返してくれた。やせ細り、骨と皮だけの手で、どこにその力が有るか不思議なくらい・・、20分ぐらい握り締めていた手を抱いていたが、走馬灯の様にくるくると、50年前の子供頃を思い出した。涙が、キューンと締め付ける心から絞り出す様に流れて止まらなかった。人生の別れはつらい・・、 二度と戻らぬ旅立ちだから・・、人は生を持って生まれたら、 また生が終わる道筋に行き着く・・、

JALの001が房総沖に到着して、あと20分で成田ですと
アナウンスが有ってから、直ぐに、機長の緊急のお知らせが入りました。『カナダ航空が緊急着陸するので、旋回して上空待機となりました。』と放送が有りました。これには『がっくん!』と来てしまい、『やれやれ・・・』とため息をつきました。JALのジャンボ機の窓から注し込む光が、右から、左からと旋回の度に変わりました。エンジンも最小に絞ってあるのかかすかに聞こえるだけです、おかげでこれで40分は遅れました。着陸して、いっもは機内荷物だけですが、今回のフライトは液体(口のうがい薬)、練り物(歯磨き)など全部禁止ですから、しかたない!荷物は全部お預けとなりましたので、これまた25分は遅くなりました。今回のパラグワイOFF会は5時半ですから、これで絶対に遅れることは間違い無いこととなり、少しあせってきましたが、こればかりはどうしょうも有りません。結局はこれで40分の遅れと重なって、荷物を貰って成田エキプレスに乗れたのが4時50分頃でした。早速に大友氏の携帯に遅刻到着のメッセージをいれておきました。これまたやれやれで・・、遅くとも7時半には会場に到着すると考えていました。東京駅から山手線に乗り換えて、田町駅で降りると、ホテルにタクシーで飛んで行き、チックインの手続をすると、部屋に荷物を投げ込んで、汗臭い下着だけ着替えて飛び出しました。後は順調で、会場の『一粋』までは迷う事無く一直線でした。しかしながら会場に着く頃はもう下着は汗でびっしょりでした。毛穴が開いて馬鹿になった感じです。それからしたら、私が住んでいるサンフランシスコ郊外ですが、今日などは寒い感じの風が吹いています、乾燥して爽やかな風が吹いていますので、毛穴が最大限に全開することなどは有りませんので、これまた過去30年で2回目の夏の訪問ですから、慣れ切ったカリフォルニアの気候からしたら当たり前です、これには参りましたが、なにせハンカチなど無意味ですから、ホテルのタオルをカバンの放り込んで来ました。これは正解で、出掛ける前に少し濡らしていましたので、エレベーターに乗る前に、サーっと顔など拭いて、首周りもついでに拭いていました。馬子にも衣装ですが、とんでもない、おしゃれなどしては居られません、Tシャツだけで『お邪魔致します・・・!』と会場に入りました。幹事の大友氏が喜んで迎えて下さり、私もほっとして約束を果たせました。かなり皆様方、アルコールが回った感じで、酒が余り飲めない私はウーロン茶で乾杯とさして頂きましたが、熱気が充満する中で、私の初めてのパラグワイOFF会がスタートしました。楽しい・・、久しぶりに日本語のみ・・、きっと私の田舎かっぺの格好でさぞかし皆様方はがっかりしたと、内心はニタリ!としていましたが、ついつい・・、話に夢中で、時の経つのも忘れて話し込んでいました。普段はインターネットの中で繋がっている仲間ですが、世界は狭くなりましたと、つくずくと感じました。また、次回のOFF会があれば、アメリカからでも来たいと思ったしだいです。

OFF会での楽しい語らいの中で、ある方がアルゼンチンのポサダの町で戦前の一世日本人が、カフェー屋をパラナ河の見晴らしの良い河畔で開いていた方の親戚だとは驚きました。その方は41年前に亡くなられていますが、一世時代の話がパラグワイOFF会で繋がるとは奇遇でした。1920年代、南米への戦前の移住の方は殆ど現在では、この世に見ることは出来ませんが、数えるほどの方しか今では過去の昔の話を聞くことは出来ません。『明治は遠くなりにけり』と言う言葉が胸に染みます・・・、過去を見て、現在を知り、未来を予測する賢者の思考と言う考えで世の中を見れば、今の世が変革の渦に巻き込まれていると心思う事は、なんら不思議ではないと自己認識するものであります。替わり行く日本の姿が、永い年代の狭間に、駒落としの画面を見る感じで替わり、新しい日本に脱皮して行く思いがします。戦前は天皇の臣民として天下一心、大和民族として単一民族だけと言う心思いは個人の主観としては大切で重要と感じますが、もはや、現在の世の中では、都会の20名のうち結婚する若者の一人は外国人の伴侶となり、この資本主義社会では労働力としての人口移動が世界規模でのうねりとなり、もはや止め様のない流れとなっています。時代を遡れば日本民族は耶馬大国の、いにしえの昔から、朝鮮半島からの交流と南方民族との接点があったと思います、南の島から流れてくる黒潮の流れは民族の人的な流れと、交流の場が作られたと感じます。沖縄県の県人意識と身体的、体格的な特徴としては同じ日本人として、また同じ日本語を話す人種として、同じ東洋人としての仲間意識からしたら、独特の沖縄弁として、特異の文化と習慣を育てていたと思うので有ります。我々が過去の数百年の流れを見ても、豊臣秀吉の朝鮮出兵からの、朝鮮韓国人の日本への連行からしてその大陸文化の尖兵として多くの当時の日本が必要とした、また欲しかった人的資源の獲得でした。先日も訪日をした折に熊本の水前寺の近くで、加藤清正の肥後熊本城主が朝鮮出兵の折に連れ来た、先祖は朝鮮半島の陶工が今の世にも残り、伝統を残している姿を見ると、日本民族は東洋人の複合重複混合した民族形態と感じます。百年以上も昔の父島、母島の欧州系の捕鯨船時代の欧州系移民の定住と繁栄は今も残り、オランダ、ポルトガルとの長崎での交易の鎖国時代からの人的な交流を通しての、文化と文明の交流は宗教との兼ね合いも含めて、また人間的な男と女の世界での交流が僅かな隙間から日本に染み出て行ったと感じます。この事は朝鮮併合での韓国人の日本同化と同じく、台湾・満州での戦前の植民地化した人的な交流を思うと・・、今の世はDNA検査の精密さを考えると、モンゴロイドの民族的な血の流れを精密に測り、間違う事無く測定することが出来る世になり、もはや個人の考えが入り込む余地や、だだの推測では話せなくなったと感じます。北方系のアイヌ民族、樺太やアルーシャン列島の現地人の民族的な流れも、日本列島の本土からの北海道移住と言う流れと戦前の樺太などの北方領土での白系ロシア人との交流も見逃す事は出来ません。今の世は、昔の人的な流れと交流が一足飛びに飛躍して、南米の人種世界のルツボの中でサルサ・ダンスを踊り狂うようなものとの見方が正解ではないかと
感じるこの頃です。今の日本の世は、複合造成の新世代の日本語を話す、大和民族と感じます。

訪日していつも感じることは、食べ物が繊細な事です。これは日本人の口が食材、器、飾り付け、季節感など多くの要因を細やかな心で、合わせ盛る事を要求していると感じます。ホテルの朝食にしても、バイキング方式ですが、並んで居る漬物にしても、佃煮にしてもかなり凝った物が並んで居ますし、まず、ご飯が美味しい事は良く分かります。おかゆにしても、程よく煮てあり、硬からず、柔らからず白ご飯を食べて、おかゆをもう一杯たべました。いつもは自宅での朝食は、豆乳とバナナとトーストで、フルーツが付くのが決まりですが、そんな物はとても食べてはいられません、ナメコの佃煮と昆布と椎茸の佃煮風の煮物は絶品で、ついつい、ご飯のお代わりでした。食べ終わって緑茶を飲んで感じたのは『美味しかった!』の一言でした。満腹感は心豊かになります。元気一杯で羽田から6月に開港したばかりの北九州の飛行場まで飛びまして九州に入りました。早くて簡単で、ゲートを出てその前が市内行きの急行バスの停留場でした。母を訪ねて行きましたが、元気で90歳とは思えない感じで老人ホーム仲間の一番元気者と教えて下さり安心しました。母も自分で『この調子では長生きするかもしれないよー!』と自分で話すのですから、これまた安心の言葉で安堵していました。また仲間の世話や、裁縫なども手助けして、服修理などの事もしてあげると説明を受けて、これも安心したしだいです。母が元気な間は、アメリカからでも訪ねて行かなければと感じたしだいです。別れはしっかりと母を抱きしめて来ましたが、その胸の温かさは心に染みました。小倉駅からは余り待つ事無く、そこからは熊本まで鹿児島本線を降りて特急で行きましたが、電車の乗り心地は快適で、冷房の効いた車内でうとうとしている間に熊本に到着いたしました。いとこが迎えに来てくれ、そのまま病院を訪ねて別れをしてきました。帰りに僅かな時間で本屋に寄り、少し買いたい本を、お土産を出したカバンの空きに6冊ほど入れておきました。その夜はいとこの招待で料亭で、会席膳のご馳走になりました。久しぶりに馬刺身のトロを食べましたが、これは珍味で、ネギと生姜、ニンニクなどをおろした物で食べますが、アメリカでは絶対に口に出来ない食べ物です。昔、桜鍋と言って馬肉を食べた思いでは有りますが、馬刺しのトロなどは初めてでした。私の友人も熊本を訪ねた時に旅館で食べて、お土産に買って帰ったと言うくらいの珍味でした。しかしながらアメリカでは9月7日に馬の食肉処理禁止法が下院で可決され、上院で可決されると、日本などには一切輸出できない事になり、その賛成多数で可決されたという裏には、動物愛護団体の支持を受けた議員の活動が、畜産団体の反対を押し切ったと言う事です。これは馬を食肉用に売買い、譲渡、出荷の全て禁止する法律で、アメリカでこれが成立すると馬肉はペット・フードにしか加工出来なくなります。ペットが食べても良くて、人間様は一切禁止と言うおかしな法律となりますが、牛やニワトリ、豚は食用に良いが馬は禁止という、少し頭をひねる法です。貴方はいかに考えますか?
馬はペットで愛玩動物とか・・・!上質な馬刺しがこれで消えるのは、ちょいー!おかしいと思います。うらめしや~!

日本を訪問して感じる事は、過剰サービスと言う感じです。それはアメリカなどで、日本の様なサービスを30年もの間受けたことも無くて、それが当たり前と言う感じが染み付いたからと思います。それにしてもありがたいと感じます。ワイフが社会保険の加入準備の為に、必要書類を日本で取り寄せることになりまして、改めて感じた事です。しかし・・・社会保険庁の支所で私が最終居住地での申請となりますので府中社会保険事務所に国民年金の申請を申し出たところ、驚く無かれ、一切の申請はパソコン、すなわちインターネットでは許可されてはいないと言う事でした。去年にインド訪問する時にビザの申請をするので、サンフランシスコのインド領事館に電話したら、簡単に電話で『申請書類はインターネットでダウンロードしてコピーしてそれに書き込んで持って来なさい』で、チョーンで切れました。私はそれではと、インターネットでフォームをダウンロードして2分も掛からず、申請用紙を手にする事が出来ました。簡単で、時間的にしたら、どえらい節約です。しかしながら社会保険事務所ではその様なシステムは機能していないと言う事で、まずはE-Mailでの問い合わせもダメ!と言う事で、仕方なくFAXを利用して間違いなく確認の為にパソコンで文章を作成して、コピーしてそれをFAXで送りました。インターネットでフォームをダウンロードしてコピー出来ればどれだけの経費削減にもなり、わざわざ太平洋を渡って郵便で送るなどとは信じられませんでした。国民年金の申請書類ですが、無駄と無意味な感じが心に残りました。あれだけ現政府が行政改革と事務簡素化を進めているのに、なんという事かと信じられませんでした。国民年金申請書類も、その説明書も簡単にインターネットでは送れます。これからの時代を生きるにアメリカでは50歳以上の年齢でも70%以上の人々がパソコンを使用していますが、日本では50歳を過ぎるとガクンと使用者が減り、比較になりません。私は改めて日本の親切で丁寧な対応の中で、行政改革、事務簡素化、資源節約と言う事が忘れられていると、心から感じました。

パラグワイOFF会にホテルに荷物を置いて行く時に、山手線の電車に乗ると、座席では多くの人が無言で、携帯電話を前になにやらピコピコとやっています。外人さんも同じで、電車の車掌が行き先を言うだけの声が聞こえ、私はものめずらしく眺めていました。 私の側に座った若い男性は驚く事に、眉毛を剃ってお化粧らしき事をしているみたいで、ギョー!と思ってマジー!と眺めていました。何か夏のスーツを、ぴしりと決めて居ますが、私が感じる事はヨナヨナしたゲイの雰囲気がぴりぴりと伝わってきます。私はTシャツで、日に焼けて東京では場違いの感じです。それからしたら電車に乗っている乗客の若い女性の肌が綺麗な事ですが、余り乾燥が激しくは無くて、湿度も適当にあり、元来からの日本人独特、特有の肌の色は定評が有りますので、当たり前ですが、それにしても、たまにアメリカくんだりから来ると、新鮮に感じて、お目がぱちくりです。それと、どこを見ても日本人と日本語ですから、しばらくは違和感が変な感じで有ります。成田エキスプレスで東京に出る時に乗り合わせた、隣の乗客は香港系の中国人で、上手な日本語で話していました。乗車する時に一緒に並んでいた横の人は韓国人で、これまた上手な日本語を話していました。・・・、私が現在話している日本語はどんな感じを与えているか知りたいと思いました。そして東京駅近くなり、デッキに出て降りる支度をしていたら、側の外人さんがカタコトの日本語で、これから上野駅に行きたいと話掛けて来ました。どこから来たか聞くと、スペインのマドリードから来たと話していましたので、私がいきなり忘れかけた下手なスペイン語で話し出すと、相手はびっくりとして、えー!と言う感じで、日本語で『上手ですね!』と来ましたので、私も『貴方の日本語も上手ですよ!』とほめると笑っていました。東京が国際都市と言うだけに、外人さんまで日本語を上手に話すのが多いのかと感じました。たまに日本に来ると感じることが色々と有ります。

日本を訪問しても、望郷とかいうノスタルジーは感じません。
かれこれ30年前に郷里の大牟田をアメリカ行きで、別れの訪問をしてから、すでにその田舎の家も売り払い、現在は有りませんので、帰る家も無いようになりました。母はすでに老人ホームに入居して、姉の家から出ていますので、訪問と言っても純粋に訪ねるだけです。家郷を離れ、外国の異郷での生活が、その住居の地に馴染み、身体と心に染み込んで、日本訪問はただの祖国訪問と言う行事となりました。田舎を失った心の寂しさは大きく、今ではいとこの家を訪ねるのが郷里訪問でも安らぎとなります、近代化する日本社会の発展で、空間的な距離から、時間的な距離を見ると、これは劇的な変化となり、どこに居ても瞬時に繋がる電話やインターネットの世界では、暮らしと言う社会の距離感を破壊してしまった。しかし、僅かな暇に東京の浅草を散策して、下町に残る人間味の有るしもた屋の軒下の続く、仲見世通りから一歩入った路地は50年前に学生時代に来た面影を残している。間口の狭い食べ物屋が家族で経営しているのか、僅かな席で肩を並べて食べている姿を見ると、私もぶらりと暖簾を掻き分けて店に入り、『おやじさん・・、天ぷらソバを一丁頼むよー!』と声を掛けたくなる。しかしながら、現実は過去との狭間のギャップを感じ、もはや昭和と言う時代もすでに無く、観光客目当ての『レトロ調』の博物館的な商業施設が新しく建設され、テーマ・パークビジネスと変わり果ててしまった。時代はもはや、時計の針の様に逆に向かって廻す事は出来ないが、変化して急激に改革する社会のスピードは加速的な速さで、人生の出来事が過去に消え去って行く。
現代大量消費の時代的な背景で生活する現代社会人は、記憶
や思い出、個人が感じた思いも、すぐさまに消耗品的な加速度で過去に消えて行く。何か消費文化の凝縮した様に、時代が変化していると感じます。ライフスタイルの原点も都会と田舎での格差が人それぞれに絡み合い、結合してレトロ・ビジネスとして生きている物や、全て消え去った物も有り、我々おのぼりさん的な感覚からするともはや、異端人か、ガイジンとしての距離感でしかニッポンを見られなくなる時代が来ると思います。
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