地球の反対側で考える(パラグアイから発信)

「パラグアイに行こう」の作者が地球の反対側で考えた事を綴ります。また訪日した感想も綴ります。

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ソウル市は市地域だけでもゆうに一千万人を超え、都市圏としては2200万人を数えます。これは韓国の全人口の4割以上、半分近くが首都圏に住んでいるという訳です。要するに「韓国すなわちソウル」というのが実際の所でしょう。ソウル市の人口一千万人の内訳は漢江の北側が500万、南側が500万となっています。特に目覚しく発展したのが南側です。江南を開発した1970年から江南でオリンピックを開催した1988年までの18年間で、ソウルの人口は550万人から1,030万人の約2倍に増加したのですが、江北の人口は430万人から540万人と約110万人増加したのに対して江南の人口は120万人から490万人となんと実に370万人も増加したのだそうです。大きい道幅の幹線道路が走りしっかりと区画整理をして新たな街造りをしたので実に綺麗です。大きなビルが建ち並び、企業の多くも北側から南側に引越しを行い、大ビジネス街が誕生しています。テヘラン路に立ちますと遥かかなたまで整然とビルが立ち並んでいるのが見え、ソウルの発展ぶりを窺い知れます。これらのビルに在る一流企業で働くのが韓国青年の希望なのでしょうね。南米最大の都市であるサンパウロのビジネス街パウリスタ通りも確かに立派ですが一本道を入ると普通の街並みになっており、ビル街、繁華街が線であるのに対してこちらソウルは面で街が発展しているのは大したものです。北側は朝鮮に近く朝鮮戦争の時に多くの人が南へ逃げる際に橋を渡る事が出来なかった、また橋を渡る際に橋が落ちて多くの人が亡くなったという歴史もあり、少しでも軍事境界線から遠い所に住みたいという心理もあるのでしょう。

繁華街の中心となっている江南駅から江南大路を歩いてみましたが、日本の銀座、ニューヨークの五番街、パリのシャンゼリゼ等と並ぶ世界的な通りになっているという印象です。整然とした感じは他には無い世界一かも知れません。街を走る自動車は大型の高級車が多く、歩く人も若い人が大半でお洒落で、昔のイメージとは様変わりです。特に女性の化粧の仕方は変わり、髪型は以前はパーマをかけている人が多かったのですが真っ直ぐに伸ばすようになって様変わりです。この江南は韓国の中でステータスシンボルとなっており、江北そして他の地域との格差は広がっているようで、不動産価格も上昇しているようです。韓国は国土が狭く人口もそろそろ頭打ちになって来るでしょうから今後も一本調子の発展は難しい事でしょう。将来の需要を見込んでどんどんと高層建築が建っていますがどこかで限界に達する事でしょう。交通渋滞も次第に深刻になっているようで高層住宅も多く、ある時期になりますと一斉に建て替えをしなければならない時期を迎える事でしょう、将来に向けた街作りを如何にバランス良く進めて行くのか今後の江南注目です。

ソウル・江南


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大分県杵築市にある農業文化公園は予想以上の大きな施設でした。大分市のみならず最近は北九州市更には韓国人観光客も訪問するそうです。最近は別府に来ている韓国からの客も訪問するそうで、この日も団体が来ていました。ただ、少々施設の規模が大き過ぎるような気がします。

〒879-1312 大分県杵築市山香町大字日指1-1

場所は杵築市に属していますが、安心院に近く国東半島の付け根の丁度中央という感じです。広大な敷地と様々な設備、維持管理も大変だと思います。


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大分では一村一品運動が行なわれ、地域の振興を図っています。この日は駅で豊後高田市の物産展示が行なわれていました。豊後高田は日豊本線が開通するまでは港湾都市として栄えていたのですが、当時は鉄道が走る事を嫌いそれ以降は急速に寂れて来ました。最近は一村一品運動で町起こしをされ、活気が戻って来ているようです。

人口が3万にも満たない市ですが、実に色々な商品を作り出していると感心します。旅行者でなければ大量に買い込みたいところです。「いちじくのジャム」「鴨めしの素」などは欲しいですね。

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本州方面から大分へ行くには空路と鉄道が一般的で、鉄道の場合には新幹線で小倉へ行き乗り換えとなります。大分へは「ソニック」という特急が走っています。国鉄分割以前は日本中に同じダサいデザインの列車が走っていましたが、JRになり、各社それぞれ工夫を凝らした列車を走らせるようになっています。特にJR九州は鉄道ファンが乗ってみたくなる特急が多く在ると思います。ソニックもその中の一つでスマートなデザイン、豪華で落ち着いた車内、大分まで快適に過ごす事が出来ました。
車内は普通車なのですが、本州のJRのグリーン並の快適さです。座席はゆったりとしており、快適に過ごす事が出来ました。

列車はすばらしいのですが、JR分割以来、資金力の在る本州のJR3社とそれ以外の3社でかなりの格差が出来ているように思います。途中駅はどこも昔のままという感じで大きな投資は行なわれていないようです。学生時代に旅行した時を思い出しました。首都圏の駅はどこも改築されて面白みが余りありませんが、九州の駅は良いですね。

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小さい時に馴染んでいた不二家と雪印ですが、不祥事から再生法の申請となり事実上倒産状態となってしまい消滅したと考えていました。どっこい街を歩いていますと不二家も雪印も健在でした。

特に不二家のペコちゃんは懐かしいですね、ミルキーそして不二家が提供していたポパイを思い出します。以前は「ポコちゃん」なる男の子が横に居たのですが、これは見掛けなくなりました。

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東京の中心に在る靖国神社は誰でも知っている有名な場所です。しかしながらこの神社自体がどうのというよりは首相や政府要人の誰が参拝したかというような事で有名になっています。久しぶりに実際に訪問してみました。靖国神社の雰囲気、印象は「戦前」で、昭和の軍国日本の感じがします。江戸時代の何となく粋で雑然とした感覚とは全く異質の妥協を許さない直線的な感じ、良く言えば緊張感がある、悪く言えば威圧的な感じがします。訪日して思うのは、同じ「日本的」と綴られる中にも実に多様な感覚が包括されているという事です。

先入観があるのかここを歩いていますと背筋がピンとします。多くの参拝者が居ますが確かに他の神社とは違った雰囲気です。澄んだ晩秋の朝、ここに来るには一番ふさわしい季節なのかも知れません。

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西武新宿線に乗り、新宿区を出て中野区に入り最初の駅が「新井薬師」です。小さい時に中野区に住んでいた事があり、近くという事もあり、「地名」としては馴染みがありました。寺か神社か何かが近くにあるので、このような駅名になっている事は知っていましたが実際にはどのような場所なのか知らずにいました。機会がありましたので、この名前の由来になっている「新井薬師」に行ってみました。

師走のこの日は丁度月に一度の縁日のようで、両側に屋台が立っていました。道路からここの門に向かう角の直ぐ右には不釣合いな大きな立体駐車場が立っており、敷地の形状、様子から見てここは新井薬師の土地であり、副業の事業であると推測します。今でこそ街の中にありますが、江戸時代の前にはこの辺りは武蔵野が広がるほとんど何も無いような場所であったでしょうから当時は相当に大きな敷地を有していたものと想像します。中に入りますとイメージ通りの「江戸」がありました。まず門に架かっている「新井薬師」と書かれている4つの提灯が如何にも日本風、他の国のものとどこがどのように違うのか論理的に説明しろと言われても無理なのですが、感覚的に強く「日本」を感じるものでした。長らく外国に住んでいますとこのような場所に来ると嬉しくなります。浅草寺には多くの外国人が訪問しましすが、都内にあるこのような由緒ある場所は数多くあるのですから、一覧を作り縁日などの情報を細かく記載して行けば良いのでは無いかと思います。
境内に入りここが「寺」である事を始めて知りました。薬師は薬師寺なのですね、由来を知り「なるほど」と思います。日本に住んでいますと宗教に対して非常に鈍感となり神社仏閣などとひとまとめにして言う事がよくあり、寺と神社が同じ場所にあり、そこにクリスマスツリーがあっても何にも不思議に思わないようになっていましたが、世界基準からしますとこれはかなり奇異な事であると思います。屋台を覗いていますと「あま酒」「ラムネ」という懐かしい名前ののれんが架かっているお店がありました。何となく懐かしい感じですね。新井薬師界隈は新宿のすぐ近く、歩いてでも行く事が出来る距離にありますが、何となく田舎的な要素、昭和的なものが多く残っているように思います。


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東急と西武は長い間東京の私鉄としてライバルの関係にあるように思います。東急は渋谷を拠点として西武は池袋が拠点です。鉄道から始めてデパート、スーパーそしてホテル、レジャー施設など多岐に渡って事業を伸ばして来ました。西武はレジャーに相当の力を費やしていたが行き詰まり東証一部に上場していましたが、有価証券報告書の虚偽記載が発覚したため、上場廃止となっています。鉄道事業への力の入れ方は対照的であり、東急は常に路線の近代化を目指しているのに対して西武は他の事業を優先し遅れを取っているように感じます。

東急は本線である東横線の他に田園都市線があり、現在はステータスの高い線として有名です。元々は路面電車であった旧玉川線を廃止して営団地下鉄が路線を作る予定であったところを政治力で東急の路線とし二子玉川以遠に関しては既存の大井町線を延長する事で高級住宅街を造成しています。ただ近年この路線の混雑は余りにもひどく渋谷駅の近くでは電車が団子状態になり、駅構内は大混雑となり通勤に使うには大変な思いをしなければなりません。この対策として東急は二子玉川から先を複々線にして大井町線を活用する計画のようです。

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(写真:田園都市線・半蔵門線の乗り入れ)


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(写真:東急・田園都市線・車内)

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(写真:東急・田園都市線・沿線住宅街)

一方の西武でですが、電車は何となく軽い気がします。駅にもお金を掛けておらず昔ながらで懐かしい気分にはなりますが、東急に遅れを取っているのは否めません。新宿への乗り入れも中途半端で高田馬場が乗り換え駅になっています。将来は落合付近で東西線に乗り入れる案が浮上しているようです。

西武の中で他の線と全く連絡が無い路線があります。西武多摩川線で武蔵境駅と是政の間をワンマン運転しています。何と未だに単線であり、線路の両側には住宅が迫っており、今では電車を増やす事も新駅を作るのはかなり難しくなっています。元々は京王や小田急と並んで多摩地区に路線を延ばす計画であったようですが、鉄道に関心が無い経営者はそのまま放置し、現在でも30年前と変わらない雰囲気です。途中には大学等が増え、また運転免許を更新する府中自動車試験場がありますが、ほとんどこの路線を使わずバスで行くようです。試験場の横を通過するのですが丁度駅間の中央で新駅を作れば多くの人が利用するのでしょうが、投資を行なわなかったので無理のようです。電車には「開業80年」とありますが、もう少し努力をしていればもっと多くの利用客があったのにと残念です。


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(写真:西武多摩川線)


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(写真:西武多摩川線は単線)

西武線の沿線には独特な雰囲気があります。新宿線に乗り高田馬場を出ますと「西武の世界」が広がっています。例えば中井は新宿区なのですが、もう都心からは相当離れているように錯覚します。ここは都営大江戸線も通っている駅で、青山、六本木にあっという間に行く事が出来ます。代官山、田園調布などのステータスを作り上げた「東急の世界」とは異質の雰囲気ですね。


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(写真:西武新宿線・中井駅前)


さて、この東急、西武の大きな目標は新宿乗り入れにあると見ています。東急-渋谷、西武-池袋の印象が強いのですが現在の東京の中心は新宿であり、電車を新宿に乗り入れる事に強い意欲があるように見えます。京王新宿駅ですが、この場所は元々は東横線が渋谷から延長しここに駅を作る予定になっていたようです。西武も西武新宿駅がありますが、歌舞伎町の場末に在るという印象があり、本格的に新宿に乗り入れる事を切望しているようです。この両私鉄の意図が東京メトロの副都心線のようです。池袋-新宿-新宿を結ぶ線は山手線と平行しており、余り新設する理由が無いように見えますが、西武池袋戦と東急東横線に乗り入れる予定になっており、この両本線の乗客が直接新宿に行く事が出来るようにするのが目的と考えると新設の意図が理解出来ます。東横線は東急の本線ですが、これで東京メトロに日比谷線、南北線と共に副都心線に乗り入れる事になり、便利になり、渋谷が通過駅となり終着駅では無くなる意義は大きいように思います。直通の電車が運行されるのかどうかは分かりませがん、秩父発元町中華街行きという電車が走るとなれば人の流れがまた大きく変わる事でしょうね。東京メトロとしては初となる急行(池袋-新宿三丁目-渋谷)が走る事でしょう。三副都心が山手線とこの新路線そして東急・西武と繋がりますとこの地域が副都心では無く一つの地域として「都心」そのものになって行くのかも知れませんね。



日本でプロ野球の帽子を購入しようと考え、どこで売っているのかインターネットで検索しますと「普通のスポーツ店では販売していない」というコメントが多数ありました。何でも大リーグの帽子は売っていても日本の球団の帽子はそれぞれのグッズ店もしくはインターネットでの購入しかないとの事でした。一昨年はたまたま仙台駅で楽天の帽子を買いましたが、楽天の帽子を関東で購入するのは非常に難しいとの事でした。贔屓チームの帽子が欲しいという思いは強く、買うとすれば横浜か楽天の帽子、せいぜい日本ハムくらいで他の球団の帽子など欲しくは無いと考えておりましたところ、横浜に行く用事がありましたので、横浜市の中心街、本拠地である横浜スタジアムが近くに在る関内駅前にある横浜ベイスターズの帽子を購入する事にしました。

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シーズンオフの12月の平日の午後で、お客は誰も居ませんでした。店内に並ぶ応援グッズ、ファンとしては非常に嬉しく、色々と手に取って眺めていました。店員に「横浜の人は皆ベイスターズを応援するべきであり、阪神などを応援するのは邪道だ」と発言したところ、「そうなんですよね、スタジアムに行くと阪神戦の時は相手の方が多くて一塁側まで阪神ファンが居るんです」とのお話、20年以上前に横浜スタジアムで観戦したのと同じ光景、このような許せない事態は今も続いているようです。更に「最近この近所に阪神グッズ店が開店して結構繁盛しているのです」とのこと、どうやらここよりも売れているらしいのです。「阪神の方が人気があるのですか?」と聞くと「人気選手が多いので・・」とのお話、「村田、芳村、寺原・・、横浜にも魅力的な選手が沢山居るのではないか」と反論しても店員さんは醒めた様子で余り乗って来ませんでした。グッズの店にはベイスターズを愛し熱く、そして野球に詳しい人を店員に置いて欲しいものでね。

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さて、帽子ですが、選手と同じものは大リーグと同じ使用なのだそうで、一つ5800円します。少々ごつい感じです。ファン用の帽子はフリーサイズで後ろが網になっており、こちらは2400円、若干高い気はしますが他に選択肢は無いのでこちらを購入しました。自分達が小さい時には子供はプロ野球の帽子を被るのがごく一般的でした。現在そのような子供は全く見掛けませんでした。特定のファンだけが使うのでは無く、多くの人、特に子供達にチームの帽子を使ってもらう事がファン開拓に関してまずやらなければならない事のように思います。横浜スタジアムで相手の巨人や阪神のファンの方が多いなどというのはファンとして本当に悔しいものです。経営的な観点で観客動員数だけ確保すれば良いというのでは無く、地元の熱狂的なファンを如何に増やして行くのか、千葉ロッテのような取り組みが我が横浜ベイスターズにも必要なのかも知れませんね。

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懐かしかったのは「大洋ホエールズ」のグッズを売っている事でした。当方のように昔からのファンにとっては非常に嬉しいもので、思わず手に取ってしまいした。店員さんに尋ねると結構売れているのだそうです。並べてあるのをみますと、チームのイニシャルである「W」の字体が変化しているのが面白いですね。チームカラーが緑とオレンジであった時代がある事も思い出しました。当時は「みかん」のようでどうしてこれで「鯨軍団」なのかと疑問を持っていました。横浜に移転した際に「ベイスターズ」に改称されましたが、未だに「ホエールズ」と思い応援しているファンは多いと思います。

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ファンを増やして行くために個々の球団の利益を追うような球団毎のグッズ店ばかりでは無く、プロ野球のファンを増やす為に全チームの帽子などを販売する拠点をもっと各地に作って欲しいものですね。


「自由が丘」に出掛けました。当方はここが生まれ故郷です。この街は大井町線と東横線との交差点として栄えて来ました。大井町線の緑ヶ丘方向から自由が丘の駅を望みます。この駅は最初は九品仏という名前だったそうですが、大井町線が開通しより近い駅を「九品仏」としてここは「自由ヶ丘」に改称したそうです。小さい時の記憶では「自由ヶ丘」であったのですが、現在では「自由が丘」と表記されているようです。


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生まれた場所は世田谷区側、地名では世田谷区奥沢で自由が丘駅から5分の場所で実際に行きますと現在は駐車場になっています。家の前には九品仏川というドブ川があったのですが、現在は暗渠化されて、遊歩道・公園になっています。

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亀屋万年堂があるので覗いてみました。洋菓子の「モンブラン」と共に自由が丘の象徴とも言える存在で、王選手の「ナボナはお菓子のホームラン王です」で有名ですが、これは確か当時の巨人の先輩で国松という選手から依頼されたものと聞いています。国松選手は背番号が36、外野手で長身でメガネをかけていたと記憶しています。

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「モンブラン」にも行きました。幼少の時分、母によく連れて来てもらいました。乳母車の時代から来ていたそうです。当時にはこのようなお店はまだ少なく珍しい存在であったようですが、現在ではごく普通のどこの街にもある洋菓子店という感じですね。実際に中に入りますとなんとなく風格みたいなものがあります。自由が丘に立ち寄る機会がありましたら、こちらでお茶をされてみては如何でしょうか?

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自由が丘には面白いレストランがたくさんあります。奇抜なものが多く目をひきます。洋麺屋とありますが、メニューを見ますと普通のパスタの店です。イタリア料理と書かずに洋麺とすると多少とも注目されるのでしょう。競争相手が多い中で皆さん色々と工夫されているようです。

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中華街で買い物をする時には学生時代から源豊行に通っていました。お茶を初め色々なものを購入しました。

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蕎麦屋です

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蕎麦と天丼のセットが人気のようです。

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秋田行きの電車「こまち」大曲の駅にて。ここで電車は方向を変えるのですが、見ているとここがまるで終着駅のようです。





選挙が行われているところです。秋田では市町村合併があり、横手市、湯沢市などは広大な市となりました。市議会選挙もかなり大きな地区を回らなければならず候補者は大変です。


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子安温泉の地獄です。栗駒国定公園の中で秋田県ですが、主に仙台付近からの観光客が多いのだそうです。

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温泉街です。

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昔の人は目の治療にも温泉を利用したのでしょうね。

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